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思い出の北信越

 投稿者:富士一平  投稿日:2007年 9月28日(金)22時51分53秒 p4100-ipad25niigatani.niigata.ocn.ne.jp
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  振られたネタには応えたい・・・ということで、過去の北信越大会には悲喜こもごもの
思い出がありますが、昭和57年秋の新潟開催が、その中のひとつです。
新潟からは長岡商、長岡、新発田商工、長岡大手の4校が出場。長岡勢3校の中に中越が不在なのは、ほぼ3年間甲子園出場を期待させた伊丹番場のバッテリー後の、まだチームが固まっていなかったためと思われます。(初戦で三条東に敗退。しかし翌夏龍池投手で出場。龍池投手は東北中で全国初戦、沖縄代表に参考記録ながら無安打無得点試合。テレビ中継もありました。)
すみません。話がそれました。昭和57年秋の北信越は長商、長岡が快進撃。長商は宮島投手の好投で怪腕関口の松商を封じ、長岡は堅い守りと土壇場の一発で高岡一、小松商を連破。2校が4強入りしました。今のようにネットがあるわけでもないので、その晩は早く翌日の新潟日報を読みたくてなかなか眠れませんでした。平成19年秋の現在、文理・明訓のアベック選抜出場期待と囁かれていますが、当時は「準決勝の星稜か福井商、どちらかを倒せば悲願の選抜・・・」と祈るように友人とラジオ桟敷で応援したものです。結果、黄金時代を迎えていた星稜に対し、長商は6−0の完敗。長岡は中盤まで福井商を4−1とリードし、いけると思ったときにはジワジワ反撃を受け、5−4で敗戦。この試合の感覚が選抜まで後一歩に迫った十日町、中越(エース鈴木修。有名なサヨナラ本塁打を打たれたシーンは今でも忘れられず・・・)にも引き継がれ、勝てそうで勝てない福井商という意識が生まれたように思いました。後に選抜出場する新津が表舞台に現れるのは翌春の県大会での旋風からでしたね。
 
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